クリエイティビティと受動

上記みたいなエントリーを書いていると、只のヲタに見られそうなので、少しまじめな話を。

ここのところ、最近はケータイ環境でどこまで出来るか、ということが私の関心事なのだけど、ケータイとMacの(私にとっての)最大の違いは何だろうか、と考えてみた。

Macは勿論、webをブラウズするとか、DVDを鑑賞するとか、iTuneを聴くとか受動的な使い方も出来るが、ものを作り出す道具にもなれる。

ケータイは受動のツールでしかないが、Macは(私にとって)鉛筆や絵の具のようにクリエイティブなツールだ。

どこかのエントリーに書いたけれど、絵が(好きなのに)下手私にとって、Illustratorは自分を広げてくれた大切なツールだ。またblogも出版人でない人にとっては、自分を表現するのに大切な道具だろう。

とか書き進めて来たけど、実はケータイもクリエイティブなツールなのではないだろうかと反省。だって、最近ではblogへのエントリーもメール経由で出来るようになったし、写メールなんかは(どんなに稚拙だとしても)自己表現の一部だったのではないだろうか。メールをコミュニケーションとみる向きもあるが、あれも実は自己表現の手段のひとつなのでは。

と考えると、ケータイをクリエイティブなツールとして研ぎ澄まされるビジネスの方向性あるのではないだろうか(あたかもMacintoshのように)。このケータイでないと、自己表現ができないとか。写メールの解像度、ピントの合わせ方とかetc。。。入力方法の改善(歩きながら如何に効率よく入力するかとか)、ホールド感を極限まで極めるとか。

書いていて結構面白くなってきた。画面の大きさをどのように克服するかとか色々と制約があるが故に、その可能性も面白い。

しかし閑話休題。まぁケータイはまだまだクリエイティブなツールとして研ぎ澄まされていないので、まだまだ受動的なツールから抜け切れてはいない(としておきます、とりあえず)。

一方、Mac/PCにはコンシューマ的使い方とクリエータ的使い方があるのだが、ここ数年DVDレベルで止まっていたので、動画を作り出すクリエータは以外には、コンシューマーサイド(受動的な使い方)では、早いCPU、巨大なHDDが必要なくなっていた。実際友人達にも「PCを購入するポイントは」と聞かれても、「今ではどれを買っても一緒」と答えていた。

しかしHDTVなどの出現で再びそのコンシューマーサイドのMac/PCにも、その早いCPU、巨大なHDDが必要となって来た(それが例え業界の巨大な陰謀だとしても)。

無邪気に軽いから、とかバッテリー時間が長いからとかで選んでいると、見られないサイトや動画が出てくることになるよ、とつくづく思った訳です。

Flashの軽いけど小気味よい動画だけが全てではなくて、HDTVの高精細な画像で創られるクリエイティブな作品も出てくるだろう、との予感がしてこんなエントリーをとりとめもなく書いた訳です。