ひめゆりの塔

首里城から空港を挟んで反対側のひめゆりの塔まで、バイクを走らせる。特に行きたい場所でも無かったが、時間があったので、出掛ける。しかし、それは間違っていた。この場所は沖縄に行ったら必ず行くべき場所だ。平和だなんだ、と抽象論だけでは済まない現実がそこにはある。正直私はここに来て良かったと思う。

南国の一見平和に見えるこの土地に悲惨な現状がかつてあったこと、そしてそれは遠い過ぎ去った過去の出来事ではなく、今でも起きる可能性のある要素が多く含まれることを実感した。

そして何より私の心を動かしたのは「総勢で200余名亡くなったうちの約半数の100余名は、「解散命令」後の数日間で亡くなった」という事実だった。統制のとれていた3カ月よりも、統制のとれなくなった数日間で半数。それは広島長崎の原爆の悲惨さとは違った意味の戦争の悲劇を感じた。そして上に立つものの重さ、というものを感じてしまった。これは戦争の悲劇であると同時に、人の悲劇、それも「非日常だった」と言い逃れは出来ない、人の責任の回避から招いた悲劇である。