livedoor問題

今朝のワイドショーを見ていて、虚しさを感じたので、一言メモ的に書いておきたい。

ニュースの新聞紹介の欄で紹介されていたので、ソースが明確でないので申し訳ないのだが、月尾嘉男がある新聞のコラムで、「現在のテレビも新聞も都合の良いときだけ「公共性」を使って、新興勢力を排除しようとするが、果たして本当に「公共性」に寄与した番組を作っているか」、と疑問を投げかけていた。

私はこの意見に大賛成だ。今回のlivedoor vs フジテレビ問題を見ていると、テレビ側はlivedoorはメディアの「公共性」とか「報道の自由」を守れるのか、などと言っているが、言っている側から、堀江社長が出演していた「平成教育2005予備校」を急きょ放送中止(延期?)にして、上の意向をすぐに伺う。そんなに報道や公共性が重要ならば、株の問題とは別に堂々と放送すれば良いのに、すぐに上の意向に従ってしまう。

NHKにしても朝日新聞との衝突があったら、ラグビーの審判が「朝日新聞のロゴ」が出ている、という理由で放送を中止する/しない、と問題があった。当然NHKにしても、朝日新聞にしても堂々と戦って真実を明らかにすることは重要だが、ラグビーの試合とその問題とはなんの関係もない。

そんなことをごちゃごちゃにしておいて、「公共性」だの「報道の自由」だの「編集権」だと言っても言葉だけがむなしく響くだけだ。

そして、今はlivedoor問題がhotな話題だが、NHK問題はどうしたのだろうか。年金問題の根本は何か解決したのだろうか。

こんなことを考えると、堀江社長が「個人が事実だけを報道し、個人が選択する」というのも、つい頷いてしまいそうになる。

しかし、「編集権」ということに関しては、何もテレビや新聞だけの問題ではなく、出版にもその波があったはずだ。その時の議論をもう一度振り返って見直してみる必要があるのではないだろうか。