クリムゾン・タイト

クリムゾン・タイトを偶々観た。何とは無しに木曜洋画劇場にチャンネルを合わしたら、やっていたので流していたら見入ってしまった。

ストーリーは至って単純(ネタバレ注意)。舞台は米軍の原子力潜水艦アラバマ内。ロシアで反乱軍が核基地を占拠したとの第一報が、ペンタゴンからアラバマに入る。その渦中敵船からの攻撃を受け、通信システムが壊れ、電文の続きがとぎれてしまう。

このままロシアに向けて、核ミサイルを発射すべき、と主張する艦長。通信システムの復旧を優先させて発射か中止かの確認をペンタゴンにとるべき、と主張する副長。この間での対立が潜水艦内で緊張を走らせ、館長vs副長の対立と規律の人間ドラマが展開される。

今発射しないと、未曾有の大惨事が米国に襲われる、艦長権限で発射される、という艦長の主張。副長は核の報復の嵐が起こる、という考えの基、副長の合意の得ない発射は禁じられているという軍規に従って動く。

平和教育」という奴を受けていたので、絶対的に副長が正しい、と思いこんでしまう自分があるのだけれど、この話の軸とすべきところは、核の発射か否か、ではない。

お互い外部の情報が遮断された中で、「正しい」結論が出せない状況の中で、人の意志が潜水艦内の人間関係を支配し、緊張が走る。

まずは、軍規による暴走ということで、副長により艦長は監禁され、艦の実権を副長が握る。その反抗の機を狙っていた艦長は自分の側近に対して「中核の上級士官を押さえろ、そこを押さえれば、水兵は後でなんとかなる」という台詞を吐く。

こんな軍という命令システムが整っている中では水兵の意見などは、無きに等しく、水兵は上の意向で生きもすれば、死にもする。だがそこには責任などは生じない。

敵艦との交戦で混乱が起こった隙に、今度は艦長が副長を監禁し、艦の実権を握る。監禁された副長は武器発射の最終キーの番号を知る武器管制官に対して、説得を試みる。結果、武器管制官は艦長命令を拒むが、武器管制官の部下に対して向けられた艦長の銃口に屈してしまい、最終キーを開放してしまう。

中枢にいる人間は、自分の権限で全てを動かせる訳ではないが、決定的な場面での判断に加わることが出来る。そこには責任を生じるが、方向を動かせる位置にもいる。

武器管制官の時間稼ぎにより、今度は副長が艦橋を占拠し、発射安全装置をシステムを取り返す。そんな中、通信室から通信システム復旧の目処がついた、との連絡が入り艦長と副長との対立が再び走り、緊張感が艦を包む。

映画の中では通信機器が復旧し、ロシア反乱軍が鎮圧され、発射は中止と「判明」し、副長の判断が「結果」としては正しかった。

情報というのは重要でなんて話はしない。情報が不足した中で判断しなければならないことは、この情報社会の中でも起こりえる。いわば、情報が過多で情報が多すぎれば多すぎるほど情報の信憑性の確認に時間がかかる。しかし判断というのは、その瞬時瞬時で行わなければ、午前には正しかったことでも、午後には間違い、ということが起こりえる。とすると情報を精査する時間は無くなり、結局は判断というのは人の意志なんだぁ、とつくづく思った。

「あぁ、艦長とか副長とか偉い人物になるのは大変だなぁ」とか漠然と思っていたけれど、これが甘かったけれど。それはまた別の話。