たまにはblogらしい投稿を

日テレで「置き引き犯直撃」というニュースをやっていた。つい、置き引きの現場を押さえたスクープ映像か、と思いきや、置き引き犯を逮捕した後の連行される姿をモザイクもかけず、放送していた。

「泥棒してもいいと思っているのですか」とか、置き引き犯にののしられ「(撮影するのが(仕事ですから)」ととても大学を卒業した者とは思えない、ボキャブラリーに貧しい聞くに堪えない記者の言葉が入っていた。(その記者はどのような答えを期待していたのだろうか。逮捕直後の興奮した犯人が「はい、申し訳ございません、泥棒はしてはいけません」などと答えるわけがない。「バカやロー」とわめくか、シュンとなるかだろう。)

置き引き犯の出で立ちは、決して裕福ではなく、ただの遊びで置き引きをしていた様子ではない。漫画雑誌を電車の車内で集めて、新宿などの駅前で売って生活している人のズタ袋をもっていた。もしかしたら、漫画雑誌が入っていて、これから売りに出かけるのかもしれない。

勿論その置き引き犯の犯行を良し、という訳ではないが、置き引き犯も止むに止まれぬ事情、少なくとも目の前の誘惑に負けて置き引きをしたに過ぎない、と思う。

百歩譲って、彼が置き引きの常習者だとしても、偶々出くわしたような記者が「泥棒してもいいと思っているのですか」と聞いていい問題ではないと思う。

ずっと置き引き犯を追っていて、置き引きの現場を捉えて、私みたいな小市民の関心を惹く為に、注意を促すならいざ知らず、偶々居合わせた記者にそこまで撮影されて、全国放送されまでの犯罪であろうか。

そもそも記者がいつもビデオカメラ(画質から考えて、ケータイではない)を携行していること自体異常で、その記者が偶々居合わせた電車で起こった犯人を捕らえて「泥棒してもいいですか」と聞くのも尋常ではない。

それ以上に腹立たしいのは、その放映を許したデスクである。「泥棒してもいいと思っているのですか」と聞く記者の声は若く、まぁ功を焦ってのことだとしても、それを許すデスクもデスクである。もう少し大人な判断が欲しい。せめて、年末の犯罪スペシャルの時に、顔はモザイクで犯行現場の再現を入れて、草野仁が「年末にはこのような置き引きがあなたの鞄を狙っています。気をつけましょう」とコメントを入れるのが精々のネタだろう。堀江貴文容疑者保釈のニュースと同等の時間を割くようなニュースであろうか。

これで信用をなくすのは、日テレ自体だと思う。「今日の出来事」のデスクだけならば、まぁデスクの判断、ということもあろう。しかし、実はこのニュースは朝のニュースでも取り上げられていた(おそらく昼も夕方もだろう)。そんなに昼夜ながすほどのことか。しかも、ニュース自体は、その「泥棒してもいいのですか」と問いつめられながら、置き引き犯がパトカーに乗り込むまでをだらだらと流し、犯行の状況や彼がその犯罪に至った経緯もなく、どのコメンテーターも異口同音に「××容疑者は犯行をその後犯行を認めています」という一言だけ。

人を殺した少年には人権と声高にさけばれ、たかだか置き引きで、モザイクなしの顔をさらされてしまい、偶々ビデオカメラを持っていた日テレの記者に出会ったばっかりに、全国放送。このバランスを失し方は異常としか感じられない。どこに放送の判断というものが入っているのだろうか。マスコミの強みは、その判断(≒編集)をするということだと思う。だから、数で勝負のblogに負けてしまうのだよ、マスコミの諸君。