スローライフ

このところ、自分の仕事がうまく仕上がらず、空回りばかりだったので、先週末は友人と「みんな働きすぎだ〜、ITで便利になったではなく、より忙しくなっただけじゃない?」と愚痴って飲んでいた。

例えば、昔は大阪出張は、日帰りではなく泊まりで、半日大阪で仕事したら、一泊して(あるいは大阪支社の人と朝まで飲んだくれて)、翌朝また帰り、東京本社には午後から出社、という感じだったに違いなかった。でも「朝、大阪に飛行機で出張して、21時には東京本社で残業(?)して、翌朝普通に出社、という人がいる」、と友人から聞いた。一昔前までだったら「う〜ん、立派な人」と賞されていたのかもしれないが、「もう止めようよ、そういう人を誉めるのは」と愚痴っていた。だって彼が一日早く仕事をあげることで、その仕事の引き継ぐ人は、一日遅くて良い仕事を早く仕上げなくてはならなくなって、またその隣の人が一日早く仕事を仕上げなくてはいけない羽目に陥って、加速度的に社会全体がせっぱ詰まっていくじゃん。

それこそ、ワープロがない時代は、一日かけて手書きして清書して、郵便で送っていたのだから。それがOA化やIT化で、半日で終わって、その他のこと(それはプライベートでもいいし、思索的な時間でも良いし)に充てられる、という未来像を描いていたが、未来が現実にきてしまった今では、半日で終わったら、もう半日同じ仕事を詰め込められてしまう。一人がそうならば良いが、みんなが皆、忙しがってどうする、と本気で思って「ITはヒトを幸せにしたか」というI書店のIさんが持ち込んできた某企画を思い出してしまった。

というアンチIT論を展開しようと思っていたら、「Delicious Libraryと手書き原稿とGoogle先生」の日記に、taiyoさんが「土屋研の本棚(http://www.hondana.org/C5DAB2B0B8A6/)」を紹介するコメントをくれた。一発で惚れてしまった。うーん私のゼミの時代もこういう本棚が共有できていたら、凄く素敵だったのに、と素直に思ってしまった。

難点はこの本がamazonで手に入ってしまうことかな。(数日前のkkさんとの話していたことと矛盾するが)古本屋や紀伊国屋で指定書籍を探している間に、ふと手にした本が人生を変えてしまう可能性がなくなってしまう。

でも、本質の問題は、「人間の寛容さ」かもしれない。

こうせっぱ詰まった世の中になると、amazonで入手することを前提として(つまりは最短時間で)、時間をはかろうとするが、古本屋で入手する学生がいてもいいし、SFCから新宿の紀伊国屋まで出かけて買いに行く学生がいてもいいじゃないか、と思う余裕かもしれない。上記の仕事も同じ。