無責任社会

ある人のblogを読んで思いついたのだが(直接に関係ないblogです)、下流社会希望格差社会と言われているが、無責任社会なのではないか、と最近感じ始めて来た。

確かに、IT等の変化の激しさから行くと、永遠のβ版戦略は仕方ないのかもしれない。しかし「私の会社はこれで行く正式版で、文句があるなら言ってこい」という姿勢ではなく、「だってβ版だものね。バグがあってもしかたないじゃん」という形でしか提供しない。

そして、個人情報保護も「目の前の事態はどうであれ、私どもの責任ではなく、法律に書いてあるのだものね、だからそれに従っているだけ」と開き直る。

構造計算書偽造の問題も「姉歯が勝手にやったこと、私どもは指示もしていない」と逃げ回る。けれど、そういう姉歯を使ったということの責任は無いのだろうか。

政治家にしてもそうだ。自分が行った一挙手一投足には責任をもってもらいたい。ことが起こると「いやあれは秘書が勝手にやったことだ」「ホリエモンがあんな人とは思わなかった」とかいうが、それを雇ったり、推薦した責任はどこにあるのだろうか。それに政策を作ったのは自分ではないとしても、決めたのは政治家自身ではないだろうか。

目の前に起こった事態に対しての対応ではなく、「どっかの誰かが××と言っている」だから「私には責任がない」と始終逃げ回っているように感じる。

極論だが、私は基本的に政治家も含めリーダーは稼いでも良いと考えている。あれだけの責任重大なことを負わされて、日々苦労をしているのだから、あんな月給や年収では見合わないと思う。

しかし、今の現状を見ていると、先に報酬や利権、名声ありきで、それだけの報酬と利権をもらったら「どうなるのか」などと考えもせず、報酬と利権だけを得ようとする。(という意味ではフリーターというのは一つの選択だと思う。それだけの責任を負いたくはないので、報酬は少ないが責任もない立場に自分を立たすのは一つの正解だと思う。年金や老後などの長期的スパンの話は別。)

ホリエモンがどうなのかは、今後の動向を見ないと分からないが、あれだけの「報酬と利権」を得たのだから、きっちりと責任はとってもらいたいと思う。それは単純に罪を認めろ、ということではなく、本当に罪がないと思えるのならば最後まで戦って欲しいし、本当に罪を認めるのならば、社長としてライブドア社員に対してもっとも良い形で罪を背負って欲しいと思う。「あれは××氏が勝手にやったこと」という幕引きは見たくない。

ホリエモンに仮託して話をしたのだが、実は自分にとっても言えることで、きちんと責任をとれる人間になろう、もしくは責任がとれないお金/名声はもらわないという生き方をしたいですねぇ、と思った次第。