予算と人

この話はside Bに書いたことだけど、予算の時期になったので、自己反省を込めて再掲してみたいと思う。

昼飯時に、同僚と予算についての"お話"をした。


私の働いている職場は、良くも悪くも"甘い"職場だ。経営陣は"理想"主義者で、"こうなればいいな"ということばかり考えている。

かくいう私も、ついこの間までは予算についてよく分かっていなかった。特に私のいる部門は"管理"部門の総務的な仕事をしていて、かつ先輩などもいない部署だったので、"甘ちゃん"に拍車がかかり、社会人としてはどうか、という面が多々あった。

具体的にはどういうことかといえば、ある備品が必要となったので、特に考えもなく、購入する。経理も必要物品なので、購入を認める。ところが、その備品の予算立てはどこにもしていないので、決算期には赤字となる。

もちろん総務的な仕事なので、その部門単独で収入などはない。予算overなのだから、当然赤が増えることになる。

ここが私が"甘ちゃん"であった所以だが、「だって赤は赤だし、必要な備品じゃないか。しかも私や私の部署が欲した備品ではなく、他の部門が必要だ、といったから購入したに過ぎない。だから何が悪いんだ。」と開き直っていた。

だが、管理部門に移ってきて、1年も過ぎると、私が如何に"甘ちゃん"だったかがこの年になって漸く分かった。

経営は各部門部署から上がって来た予算で経営計画を立てる。この予算がでたらめだと、経営計画も何も行かなくなってしまう。各部門部署がやたらと勝手に"必要だから"と言って、支出を増やしてしまえば、決算は当然赤になる。

たとえ"必要"だとしても、予算外の支出はしてはいけない。(もしするとしても、それ相応の"収入"が見込まれなければならない。それがバランスシートというものだ。)

基本的に私の仕事は、機械相手の仕事だから、前年の支出の傾向と今年の計画を見合わせれば、ぶれのない予算を立てることはそんなに難しいことではない。

しかし、問題は人の動きである。結局人が増えれば、それだけ支出も増える。

それは単純なことではない。人が増える要因は仕事が増えるからである。仕事が増えるということは、会社への発注が増えるからである。会社への発注が変化するということは、社会のニーズが変化するからである。その変化は予算へと直に繋がる。

例えば、去年と同じ予算を組んで、人が増えて"必要な"備品を予算外で購入する、ということは、つまりは自分自身の予測能力の欠如に他ならない。

このような変化に機敏に対応できる能力が予算を組む能力ということであり、予算を組めることこそが管理職なんだ、と最近はつくづく感じる。

予算の執行は誰でもできるが、予算をぶれなく組み立てるためには、それこそ人と仕事を見る目を養わなくては、予算は立てられない。自分の部署ですらそうなのだから、部門長は各部署の人の動き、それも予算を立てる人の資質を見抜かなければならない。いわんや会社を経営するためには、部門の動向だけではなく社会のニーズの変化に機敏でないと経営者は勤まらないのだな、と感ずる。

つくづく、組織というのは人なのだな、と思う。私にはまだまだ無理。